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【自己紹介】
15歳から働き続け、普通の会社員でも人生は変えられる

──健康とお金で、自由な毎日をつくるヒントをお届けします。

はじめまして。 このブログを書いている「のばすけ」です。

私は15歳で働き始めました。 学歴も低く、借金取りから電話がかかってくるような貧しい家庭で育ちました。

「家族みんなで毎日食事ができるような、普通の家庭を築きたい」

──そんなささやかな夢を胸に、コツコツと働き続けてきた、どこにでもいる普通のおじさんです。

ありがたいことに、その夢は叶い、現在52歳。 早期退職できるほどの資産を築くことができました。

また、健康寿命を意識して運動を続けてきたおかげで、今も趣味や旅行など、やりたいことを思いきり楽しめています。

このブログでは、**「健康」と「お金」**という2つの軸から、 自由でゆとりある毎日をつくるためのヒントを発信しています。

特別な才能がなく、低学歴、貧乏だった、私にできた方法ですので、再現性は高いと思います。

ここで紹介しているのは、私自身が実際に試して効果を感じた、
・健康を維持するための習慣
・資産を増やすための考え方
・そしてその結果、より豊かに人生を楽しむための工夫 です。

「年齢を重ねても、まだまだ人生を楽しみたい」
「私と同じように学歴も低くお金がない若い方」

──そんな方たちの背中を、少しでも押せるようなブログを目指しています。

高校を中退しても、ちゃんと生きていける

〜10年後の自分をイメージして、今を生きる〜

今日は、子どもつながりのパパ友から
「息子さんが高校を中退してしまった」という話を聞きました。

中退した本人も、そしてご両親も、
きっと大きな不安を抱えていると思います。

おそらく直接この文章を読んでもらえることはないと思いますが、
その息子さんとご両親に向けて、
高校を中退した私自身の体験談を書いてみようと思います。

私が結果的に大丈夫だったから、大丈夫です。なんて軽々しく言うつもりはありません。

すべてが同じ状況ではないので、参考にもならないかもしれません。
でも「こんなパターンもあるんだな」くらいの気持ちで
読んでいただき、ほんの少しでも気持ちが楽になればと思い書いてみました。

目次

実は、私も高校を中退しています

私は15歳のとき、昼間の高校には進学できませんでした。

当時は勉強がとにかく嫌いで、
父親の借金もあり、家にお金の余裕もありませんでした。
受験できたのは公立高校のみ。
受験勉強もほとんどせず、結果は――当然のように不合格。

そのため、昼間は地元の小さな工場で働き、
夜は定時制高校に通う生活を始めました。

工場の初任給は、手取りで8万円ほど。
そのお金で「PCエンジン」というゲーム機を買い、
友達に吉野家の“フルコース”
(牛丼・味噌汁・サラダ)を奢ったのを、今でも覚えています。

定時制高校を3か月で中退した理由

夜間の高校は、わずか3か月で中退しました。

理由は、とてもシンプルです。
友達ができなかったから。

「それだけ?」と思われるかもしれません。
でも、教室という空間で、周りに馴染めず一人でいるのは、本当に辛いことです。

定時制高校には、

・いわゆるヤンキー
・真面目だけど勉強が苦手な人
・家庭の事情で昼間の高校に行けない人

さまざまな背景の人が集まっています。

私のクラスはヤンキー多め。
一方の私は「真面目だけど勉強嫌いで貧乏」な少年。

正直、うまく溶け込めませんでした。

一人でいること自体は嫌いではありません。
でも、集団の中で一人でいることと、
プライベートで一人でいることはまったく別物です。

あの居心地の悪さは、今でも覚えています。

そうして、だんだん学校から足が遠のき、
中退という選択をしました。

何も言わなかった母

後から母にこの頃のことを聞いたことがあります。

「あのときは、この子はこの先どうなるんだろうと思ってた」

そう言っていました。

でも、母は私に何も言いませんでした。

父の借金返済のため、母もパートで働いていて毎日忙しかったはずなのに、
夜遅くに帰っても、必ず夜ご飯を用意してくれていました。

会話は多くありませんでしたが、
私が食べ終わるまで、いつもそばにいてくれました。

母は、私のことを信じてくれてると感じていました。

子どもながらに、
「この人を悲しませることだけはしちゃいけない」
そう思っていました。

人生を変えた、ひとつの言葉

15歳で働き始めた工場を、1年ほどで辞めることになったとき。
その職場の上司が、こんな言葉をくれました。

「10年後にどんな自分でいたいかを考えて、今を生きろよ。
10年あれば、大抵のことはできるから。」

この言葉は、間違いなく私の人生を支えてきました。

37年前のことですが、今でも、照れくさそうに私に言ってくれた上司の顔を覚えています。

「10年後」を考えたときに浮かんだ夢

17歳の頃、昼間は喫茶店でバイトをしていたので、
遊ぶのは仕事終わりの深夜。
土日は仕事。
飲み会では大人に混じってスナックに行くこともありました。

いわゆる「普通の10代」とは違う生活。

だからこそ、強く思ったのです。

「夜ご飯を、家族みんなで食べられる普通の暮らしがしたい」

ささやかですが、
私にとっては大きな夢でした。

夢を叶えるためにやったこと

10年後にその暮らしをするために、今何をすべきか?

私なりに考え、動きました。

・中卒では難しい → 最低でも高卒資格が必要
・18歳で定時制高校に再入学
・昼は飲食業で働きながら、夜は学校に行って、なんとか22歳で卒業
・その後、職業訓練校のトレース科に入学 半年間の訓練後、設計事務所へ就職

やっと、私が「普通」と考える職業に就けたのですが、時間はあっても給料が安く、将来が見えない。

当時の私はずっと飲食業だったので、価格が決まっている製品を扱っている場合、売り上げ(給料)をあげるには数を売るか単価を上げるかしかないことは知っていたので、価格の決まっていない製品を扱った仕事の方が給料が高いと考えました。

それで、設計事務所に就職したのですが、設計事務所は図面を書いてなんぼの世界。 
ある程度、単価が決まっていて、給料がものすごく安くて、結婚すらできないのではないかと思いました。

そこで私は「今は時間よりお金とスキルが必要」と判断し、
残業、土日出勤、徹夜ありの装置メーカに転職しました。

ここで、一生食べていけるスキルを習得し、遊ぶ時間もなかったので貯蓄をすることができました。

そして、
・29歳で結婚
・しかし時間が足りない → 再び転職

その後、
残業ほぼなし、給料そこそこ、バランスの良い会社へ。

31歳で入社。
35歳頃、気がつくと夢が叶っていました。
描いてから約18年かかりました。

でも、叶いました。

そして現在、53歳

前職では色々とあり、48歳で再び転職しましたが、
「家族で夜ご飯を食べる暮らし」は今も続いています。

ただ、子どもたちは成長し、それぞれの時間を生きています。
少し寂しいですが、それが自然なことだと思っています。

今の10年後の目標は、

「健康寿命をできるだけ延ばして、妻と余生を楽しむこと」

そのために選んだのが、週休3日という働き方です。

まとめ:高校を中退しても、やり直せる

私は勉強もできず、特別な才能もありません。

それでも、
自分なりに考えて、できる範囲で行動することだけは続けてきました。

うまくいかなかったことも、たくさんあります。
でも、そのときは

「このやり方ではうまくいかないと分かって、よかった。」

と思うようにしています。

とはいえ、
どうしても次の一手が見えないこともあります。

私も悩みすぎて鬱になったことがあります。

そんなときは、まず休むこと。
眠れないほど辛いなら、薬に頼ってもいいと思います。
とにかく眠って、体力を回復することが大切です。

まずは健康。
体と心が元気なら、大抵のことはなんとかなります。

最後まで読んでくださりありがとうございます。

この文章が、どこかの誰かの不安を、ほんの少しでも軽くできたら嬉しいです。

では。

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この記事を書いた人

週休3日で働く兼業主夫(53)。
お金よりも時間を優先する働き方にシフト。
健康寿命を意識して、がんばりすぎない暮らしを実践中。

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