大学生のうちは「やれること」ではなく「やりたいこと」をやりなさい。
息子の大学入学式の来賓の方のコメントです。
正直、「ハッ」としました。
私はこれまで「やりたいこと」をやってきたのか?
私は52歳。
思い返せば、「やれること」の中から「やりたいこと」をやってきたように思います。
広く浅くですが、それなりに色々とやってきました。
仕事、バイク、ギター、スキー、登山、ラジコン、ロードバイク、ランニング・・・
ん? それなら「やりたいこと」をやってきたことになるのか?
大学入学式の前だったら、「俺はやりたいことをやってきたな~」と思っていたかと思いますが、今は何か違和感を感じます。
それから、「やりたいこと」とはなんだろうと考え始めました。
私は15歳から働き、今は52歳です。
中学をでてから、今まで、ずっと働いてきました。
金銭的にも、時間的にも有限(かなり低いレベルで)で、そのなかでできることを楽しんできたつもりです。
お金も時間も「あればあるなり」に、「無ければないなり」に楽しいことを見つけて、人生を楽しめればよいといった考えの人間で、色々な制約(主にお金や時間)のなかで「やれること」の中から「やりたいこと」をやってきました。
今までの人生に後悔がある訳でもなく、子供時代の自分を知っている人からみたら、「のび太のくせに生意気だー」と言われそうなくらい、ごくごく普通の生活ですが、自分にしては120点の人生を送れてきているとさえ思っています。(私の家庭は普通ではなかったので、「普通」に憧れて生きてきました)
「やれること」を一生懸命やりましたか?と聞かれれば「はい」と言えますが、「やりたいこと」をやってきたかと聞かれると、胸を張って「はい」とは言えない自分がいます・・・
比較しても仕方ありませんが、人によって、「やれること」のレベル感は違ってくることはあるかと思います。
お金も時間もあれば、壮大な冒険も可能でしょう。
でも、お金も時間もかけて大冒険的なことがしたい訳ではないように思います。
(そりゃあ、やれればやりたいですけど)
仮に、お金も時間もたくさんあって、海外旅行とかしまくったとしても、楽しいとは思いますが数年で飽きるように思います。
飴と鞭ではありませんが、楽しいことばかりしていると、楽しいことが普通になってしまい、もっと楽しいことを求めてしまうかと思いますので切りがありません。
程よい楽しみ(飴)と、程よいストレス(鞭)は生きていく上で必要なことだと思います。
一般的には「やりたいこと」とは寝食も忘れて、夢中になったり、リスクも顧みずに実行できるくらいのことなのだと思います。
しかし、今の自分は朝を有効活用したいので、夜にやりたいことがあっても早寝早起きするし、家族もいるのでリスクをとってまでやりたいことは正直なところありません。
いったい「やりたいこと」ってなんなんでしょうね?
これからも楽しみながら「やりたいこと」探しの旅は続けていきます。
こんな、ただのおじさんの独り言に最後までお付き合いいただきありがとうございます。
では。
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